第1回「樋口季一郎将軍との出会い」
ナチスの絶滅政策からのユダヤ人救出については、リトアニアの杉原領事の業績が「六千人の命のヴィザ」として今日広く知られるようになった。ところが、樋口季一郎将軍の二万人救出の業績は、軍人であったせいか、あまり知られていないのではなかろうか。私自身は、神戸に来たユダヤ人については、「少年H」の話や、ネット上で少し状況を覗いたことがある程度で、恥ずかしながら全く無知であった。ところが、ある偶然が将軍との突然の出会いを用意してくれたのである─。【北奥春秋/4号(2007 夏の特集号)より】
これは、僕の高校時代の恩師で昨年、八戸PENクラブの会長を引き継がれた堀徳郎先生が、地元八戸のオピニオン誌「北奥春秋」に連載されている「歴史の窓」第1回からの引用です。
みなさんは、終戦後、不法に日本上陸を企てた当時のソ連軍に大打撃を与え、北海道占領をあきらめさせた勇敢な部隊があったことをご存知でしょうか?
この部隊を率いたのが日本の北方軍総司令官、樋口季一郎でした。
もしソ連軍に北海道を占領されていたとしたら、現在の朝鮮半島や、かつての東西ドイツのように、日本列島は津軽海峡、あるいは十勝平野の辺りに停戦ラインが敷かれて長く分断され続けることになったのではないかと思うと戦後、日本が平和と発展の土台を確保できたのは、この樋口将軍のおかげであるといっても過言ではないと思われます。
この部隊はその後ソ連に抑留される苦しみも味わうのですが、のちになぜ、樋口季一郎が戦後、独立を果たしたイスラエルによってエルサレムの丘に建立された黄金の碑(ゴールデンブック)に、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタイン、バルフォアらとともに「偉大なる人道主義者 ゼネラル樋口」として名前を刻まれたのか?
ハルピン特殊機関長時代から、極東ユダヤ人大会での演説、オトポール事件とゼネラル樋口の足跡を、堀先生が追っています。
ちなみに日本のシンドラーと称えられている杉原千畝の名前でさえ、ゴールデンブックには刻まれていないとのこと。
さらに終戦直前、鮫港でアメリカ軍に撃沈された海防艦「稲木」の砲術長として戦った仙台出身の橋本中尉と、八戸市内にあった渡辺外科の渡辺英敏先生が従兄弟であること、また橋本氏の奥様のお父様、つまり岳父に当たるのが樋口季一郎であったなど、その後の物語も興味深い。
「歴史の窓」HP
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【北奥春秋社】
住所:青森県八戸市内丸3丁目1−33−303
電話番号:0178-44-8241
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ナチスの絶滅政策からのユダヤ人救出については、リトアニアの杉原領事の業績が「六千人の命のヴィザ」として今日広く知られるようになった。ところが、樋口季一郎将軍の二万人救出の業績は、軍人であったせいか、あまり知られていないのではなかろうか。私自身は、神戸に来たユダヤ人については、「少年H」の話や、ネット上で少し状況を覗いたことがある程度で、恥ずかしながら全く無知であった。ところが、ある偶然が将軍との突然の出会いを用意してくれたのである─。【北奥春秋/4号(2007 夏の特集号)より】
これは、僕の高校時代の恩師で昨年、八戸PENクラブの会長を引き継がれた堀徳郎先生が、地元八戸のオピニオン誌「北奥春秋」に連載されている「歴史の窓」第1回からの引用です。
みなさんは、終戦後、不法に日本上陸を企てた当時のソ連軍に大打撃を与え、北海道占領をあきらめさせた勇敢な部隊があったことをご存知でしょうか?
この部隊を率いたのが日本の北方軍総司令官、樋口季一郎でした。
もしソ連軍に北海道を占領されていたとしたら、現在の朝鮮半島や、かつての東西ドイツのように、日本列島は津軽海峡、あるいは十勝平野の辺りに停戦ラインが敷かれて長く分断され続けることになったのではないかと思うと戦後、日本が平和と発展の土台を確保できたのは、この樋口将軍のおかげであるといっても過言ではないと思われます。
この部隊はその後ソ連に抑留される苦しみも味わうのですが、のちになぜ、樋口季一郎が戦後、独立を果たしたイスラエルによってエルサレムの丘に建立された黄金の碑(ゴールデンブック)に、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタイン、バルフォアらとともに「偉大なる人道主義者 ゼネラル樋口」として名前を刻まれたのか?
ハルピン特殊機関長時代から、極東ユダヤ人大会での演説、オトポール事件とゼネラル樋口の足跡を、堀先生が追っています。
ちなみに日本のシンドラーと称えられている杉原千畝の名前でさえ、ゴールデンブックには刻まれていないとのこと。
さらに終戦直前、鮫港でアメリカ軍に撃沈された海防艦「稲木」の砲術長として戦った仙台出身の橋本中尉と、八戸市内にあった渡辺外科の渡辺英敏先生が従兄弟であること、また橋本氏の奥様のお父様、つまり岳父に当たるのが樋口季一郎であったなど、その後の物語も興味深い。
「歴史の窓」HP
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