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![]() | 罪と音楽 (2009/09/15) 小室 哲哉 商品詳細を見る |
いつかは、この人に原稿を頼みたい。文化部に赴任した1998年ごろから、炭釜宗充さんのことはずっと頭の片隅にあった。炭釜さんが発行し、会社に送ってもらった同人誌「実験室」を読ませていただき、その思いは深まっていった。
性を扱ったグロテスクな内容だったが、心理の深層をえぐるようなドギツサに純文学の匂いを感じた。当時は乙武匡洋さんの「五体不満足」がベストセラーになり、障害に負けず明るく前向きに生きる姿がブームになっていた。
しかし、同じ障害者(しかも同じくらい美男子)でありながら、炭釜さんの小説は正反対の趣だった。あくまで求心的に自身の内奥に切り込み、臓物を無理やり取り出しては衆目にさらさんとする気概があふれていた。
日本の文壇では善くも悪しくもクラシカルな私小説の手法。後に渋谷の古本屋で見つけた炭釜さんの処女小説「冬子の場合」を読み、深まった思いは決意に変わった。(正規の販売ルートではなく古本で購入したことは今、ここでお詫び申し上げる)
私はうれしかった。今もってそんな純文の保守本流を愚直に(というか暴走に近い形で)突き進んでいる人が八戸くんだりにもいたことが。
八戸の物書きの多くは「八戸」のこだわりを前面に出すケースが多いが、炭釜さんは八戸だろうが東京だろうが地域性などお構いなし。追求するのはあくまで自分。
私はそこに志を見た。正直なところ文体はまだまだ未完成。しかし、掲載面が「文化」ではなく「福祉」のページならいけるはず。普通の人ができない経験をストレートに書くだけで十分、読者に響くと思っていた。
それより心配なのは体調。9ヶ月もの長期連載を、紙面に穴を開けずに書き続けるのは健常者だってきつい。ただし後にこの点は、炭釜さんに事前にまとまった分を出稿して頂き、まったくの杞憂に終わったのだが…。
実は連載を企画した際、当時の上司には言わなかった真の理由がある。炭釜さんには新聞連載を経験してもらうことで一皮剥けてほしかった。私が言うのは大変おこがましいが、炭釜さんが作家として筆力だけで勝負するには正直、まだ何かが足りないと感じていた。にもかかわらず紙面を提供するのは「読者に失礼ではないか」とそしりを受けるかも知れない。
それでも、私は炭釜さんの持つ「有無を言わせない迫力」を信じた。小説を、心をえぐる刃物にたとえるなら、炭釜さんのは切れ味よりも骨ごとへし折る力強さがある。読者にそれをさらしてみよう。読者も書き手も得るものがあるはずだ。
そして今、改めて冊子化された「スミハン日記」に目を通すと、編集担当だった当時の記憶が鮮明によみがえってくる。今回は掲載されていなかったが、新聞連載のカットをお願いした地元の画家マミヤハルさん、八戸高校硬式野球部の品田郁夫監督ら、多くの方々に助けていただき感謝の思いでいっぱいになる。
依頼原稿を取り扱うことが多い当社文化部員は新聞記者というよりは出版社の編集者に近い仕事が多いのだが、世に出た紙面は「編集の真似事」をしていた私の想像をはるかに超えて充実したものだったと思う。
それが新たに装丁され、冊子となった。私にとっては記念碑的な一冊だが、新たな読者にとっては作家・炭釜宗充を知る“玄関”になるだろう。
最後に「発刊によせて」としては似つかわしくないが、あえて言わせてください。勝負は次ですよ、編集長!
何と戦うのかと問われれば答えに窮するのですが、とにかく、これからも出るところに出て戦いましょうぜ。〆

スミハン日記/炭釜 宗充
性を扱ったグロテスクな内容だったが、心理の深層をえぐるようなドギツサに純文学の匂いを感じた。当時は乙武匡洋さんの「五体不満足」がベストセラーになり、障害に負けず明るく前向きに生きる姿がブームになっていた。
しかし、同じ障害者(しかも同じくらい美男子)でありながら、炭釜さんの小説は正反対の趣だった。あくまで求心的に自身の内奥に切り込み、臓物を無理やり取り出しては衆目にさらさんとする気概があふれていた。
日本の文壇では善くも悪しくもクラシカルな私小説の手法。後に渋谷の古本屋で見つけた炭釜さんの処女小説「冬子の場合」を読み、深まった思いは決意に変わった。(正規の販売ルートではなく古本で購入したことは今、ここでお詫び申し上げる)
私はうれしかった。今もってそんな純文の保守本流を愚直に(というか暴走に近い形で)突き進んでいる人が八戸くんだりにもいたことが。
八戸の物書きの多くは「八戸」のこだわりを前面に出すケースが多いが、炭釜さんは八戸だろうが東京だろうが地域性などお構いなし。追求するのはあくまで自分。
私はそこに志を見た。正直なところ文体はまだまだ未完成。しかし、掲載面が「文化」ではなく「福祉」のページならいけるはず。普通の人ができない経験をストレートに書くだけで十分、読者に響くと思っていた。
それより心配なのは体調。9ヶ月もの長期連載を、紙面に穴を開けずに書き続けるのは健常者だってきつい。ただし後にこの点は、炭釜さんに事前にまとまった分を出稿して頂き、まったくの杞憂に終わったのだが…。
実は連載を企画した際、当時の上司には言わなかった真の理由がある。炭釜さんには新聞連載を経験してもらうことで一皮剥けてほしかった。私が言うのは大変おこがましいが、炭釜さんが作家として筆力だけで勝負するには正直、まだ何かが足りないと感じていた。にもかかわらず紙面を提供するのは「読者に失礼ではないか」とそしりを受けるかも知れない。
それでも、私は炭釜さんの持つ「有無を言わせない迫力」を信じた。小説を、心をえぐる刃物にたとえるなら、炭釜さんのは切れ味よりも骨ごとへし折る力強さがある。読者にそれをさらしてみよう。読者も書き手も得るものがあるはずだ。
そして今、改めて冊子化された「スミハン日記」に目を通すと、編集担当だった当時の記憶が鮮明によみがえってくる。今回は掲載されていなかったが、新聞連載のカットをお願いした地元の画家マミヤハルさん、八戸高校硬式野球部の品田郁夫監督ら、多くの方々に助けていただき感謝の思いでいっぱいになる。
依頼原稿を取り扱うことが多い当社文化部員は新聞記者というよりは出版社の編集者に近い仕事が多いのだが、世に出た紙面は「編集の真似事」をしていた私の想像をはるかに超えて充実したものだったと思う。
それが新たに装丁され、冊子となった。私にとっては記念碑的な一冊だが、新たな読者にとっては作家・炭釜宗充を知る“玄関”になるだろう。
最後に「発刊によせて」としては似つかわしくないが、あえて言わせてください。勝負は次ですよ、編集長!
何と戦うのかと問われれば答えに窮するのですが、とにかく、これからも出るところに出て戦いましょうぜ。〆

スミハン日記/炭釜 宗充





